the Church of England

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 昨日 Stonehenge についての記事にもう1つのイギリス旅行のアトラクションを付け加えます。Glastonbury Tor です(写真)。実際に druid が来たとか来なかったとかの事実を超えて、これらの地は今もある人々の間ではスピリチュアルな聖地とされています。夏至だか冬至だかに何かの行事があるとか、King Arthur の Holy Glail が埋まっているとか、色々な伝説伝承を持っています。ひと時はヒッピーの聖地(?)として marijuana /ˌmærIˈwɑːnə/ (マリファナ)など現代の potions ( drugs )が嗜なまれていたとか、なんとなく今のプロテスタント系の英国国教会の国の雰囲気とは異質なものを感じさせます。現代の物質主義に反する精神が古代の伝説と風習にからまったのでしょうか。

d0086231_1028636.gif ブリテン島とアイルランド島とヨーロっッパとの地理的関係は左の図のようにあまり離れていません。私たちも7、8年前に Newcastle から Norway の Bergen へ船で行ったことがあります。夜出発で次の午前中にはもうノルウェーでした。Ireland は度々異民族の襲撃を受けました。古くはバイキング、ゲール人、後にはアングロ、ノーマン人など、みな海を超えて来たのでしょうが、地図を見るとそれも可能だと思わせます。さて、その後に来たのが England でした。この国は Ireland にとって最も手強い国となりました。いろいろな問題が今もまだ燻っています。

 今の英国ーアイルランド問題には Catholic と Protestant との宗教的な紛争という非常に解決の難しい問題がからんでいますが、これは England 王が Ireland 王をも兼ねた、つまり属国になった最初の頃には存在しませんでした。両国とも Catholic の影響が強かったので。

d0086231_10294121.gif ところが Henry VIII ( Henry the 8th, ヘンリー八世 )の時代になった1536年、彼はローマと縁を切り、the Church of England (英国国教会)を創立し、自身その長となりました。これは現在でもそうで、国王である Elizabeth II が the Church of England の首長です。

 彼がそうした理由は、よく知られているように、彼が離婚できるようにするためと言われています。先日 ' Anne of the Thousand Days ' (1000日のアン)という映画を見ました。この映画にはそこのところの事情が描かれています。Henry VIII は当時の妻 Catherine of Aragon と別れて Anne Boleyn と再婚するためにカトリックを捨てたのです。興味のある方、どうぞ映画をご覧下さい。

d0086231_10304319.gifd0086231_10305646.jpg 左右の写真が Henry VIII (これは右上の Elizabeth II のシルエットからもわかるように切手です)と Anne Boleyn です。2人はめでたく結婚するのですが、2人の間に将来 England の最盛期を築く事になる女の子( Elizabeth I エリザベス一世)を残して、Anne は(おそらくでっちあげられた)姦通のとがを受け処刑されます。その後 Henry Ⅷ は新たに得た特権を活用して男の子欲しさに何回も結婚を繰り返すことになります。

 Henry Ⅷ の後、Elizabeth I 、James I と England は Ireland の制圧を進めて行きました。後 England 内部でも Catholic 問題でゴタゴタがあり、清教徒革命(余談になりますが、2度の火災の後 the Globe Theatre は社会の気風の変化ー清教徒たちは芝居小屋のようなものをよしとしなかったーから1999年まで再建されることはなかったのです)、共和制、王政復古を経て、名誉革命、そして William of Orange (オレンジ公 William)が来ます。この間 England の Ireland の制圧は更に厳しくなり、 Protestant の要素が多分に混ざった the Church of England 側の Catholic Ireland に対する迫害が続き、 Ulster 地方を中心とする土地への Protestant の移住が広がっていきました。次第に産業の要を握る 豊かなProtestant England と貧しい Catholic Ireland という図式が出来上がっていき、 Ireland は England に完全に合併されました。

 William of Orange の名は今も the Orange Order という反カトリックの結社の名にのこっており、この the Orange Order の人たちはその記念日( Catholic のアイルランド人に取っては勿論屈辱の日)に行進をします。ある年、(いつかは忘れましたが、私がイギリスにいた時でした)にはそれまでは迂回していた Catholic の地区でも練り歩いたため、市街戦ともいえる状況を引き起こしました。それ以来そのニュースをのがさずに見るようになりました、どうしてそんな行進をしなければならないのか?といぶかりながら。

 その後1921年に英愛条約によって全 Ireland が英国の自治領(カナダ、オーストラリアのように)になるまで、いろいろなことがありました。アメリカ独立やフランス革命は、1つは海外移住を盛んにし、もう1つは England への抵抗運動を動機付けたのかもしれません。Sinn Fein という、暴力によらずして独立を目指す党は1900年頃結成されました。

 明日はこの続きのお話しをします。

d0086231_10322662.jpg ここでもう1つ余談をします。写真は Hever Castleヒーヴァーカースル)で、Anne Boleyn が子供時代を過ごした所です。美しい庭園でも知られ、 ' Anne of the Thousand Days ' (1000日のアン)という映画にも出てきます。ここはサイモンの父親と一緒に訪れた、私たちにとってとても思い出深いところです。
by MichikoSimon | 2006-11-28 18:43 | 英語 | Comments(1)
Commented by MichikoSimon at 2006-11-29 11:21
質問のメッセージをいただきました。
' How long does it take you to write your blog? '
答えは;
It depends.(その時によります)
速いのは、11月5日の ' a calendar on a mobilephone ' のようなもの、遅いのは、昨日今日のもののように写真が沢山入り、色々調べものの要るものです。コメントの答えを発展させたものも焦点がはっきりしていますから速いです。沢山のコメントをお願いします。
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